「口話」は「手話」よりも大事?「口話」だけ出来ればいい?コラムNo9

Twitterで、ある方が下のような書き込みをしていました。

耳聞こえへんねんからこうしてああして言い過ぎーーーーーー(略)口話がどれだけ出来るかで耳聞こえる人も関わり方変わるし、結局口話が出来なかったら筆談とか何回も言い直したりとかで「面倒くさい」印象がついて誰も話してくれなくなる。ーーーーーー(略)聴覚障害者の子供を持ってる母親は現実みて子供の事を思って口話を本気で練習さすべき。 するかしないかで社会に出た時、凄い差が出ます。

これに対して、私の友人をはじめ色々な人達が反論を書いていました。

同じ意見の方もいました。

私は、その方にこう言いました。

住みにくい社会にしたのは誰?私は、手話も口話もどちらも大事だと思ってる。口話至上主義の、ろう学校で過ごした者としては、手話も教えてほしかったよ。あと、難聴学校に行っていた人でも、情報取得が不足していて、うちが教えないと理解出来ていなかった人もいたから、口話だけでは限界がある。

これは、手話サークルとかで色々なタイプの聞こえない人に会ったことがある人ならわかるかもしれないけど、難聴学級、普通の一般校に通っていた聞こえない人の中には、ろう学校に通っていた人よりも恐ろしく様々な情報が取得できていなくて、こちらが「あれ?!普通の学校に行っていたと聞いていたけど、、、なんでしらない?」と思うことも一度や二度ではなかった。

念のために書くが、差別しているわけではない。本当に驚いたからだ。

私は、このコラムで色々と書きましたが、幼稚園~高等部までろう学校で過ごして大学だけが普通の学校で、そのあと色々な仕事を経験して、今は大学時代に学んでいた専攻とは全く別の世界の仕事をしています。

ろう学校の幼稚部の時に、「この子たちが大きくなった時に、手話を使う人も少ないだろうし、仕事でも口話が出来なくなるといい仕事が出来なくなるから、絶対に手話をつかってはいけません。」とその時の先生が私とクラスメートの保護者達を集めて、そう話したのが始まりと聞いているけど、私の1学年から上の先輩たちはみんな手話を使っていた。

その先輩たちと話す時、どうしてもコミュニケーションが円滑に取れず手話を使っていた記憶があるけど、先生や親たちの前では手話を使わなかった。使うと、こっぴどく怒られるから。

で、「口話」が出来てよかったと思うところは、手話が分からない人と会話ができること。

私が小さい時に比べたら、今は「手話」に対して偏見の目で見る人はいなくなったし、「手話」やめろ!とか言う人もいなくなったけど、聞こえる人みんなが手話ができるわけではない。

だから、「発音」を一生懸命訓練して「口話」して、手話が出来ない人とはスムーズに話が出来る!

これは、聞こえる人(手話が出来ない人)からみたらラッキーなことだと思う。

聞こえないのに、すごい努力して発音も聞こえる人に近づけて本当にすごいな!!!

そう思われたら、嬉しいと思います。

でも、ちょっと待って、、、。

「口話」できることと、「必要な情報をその時に手に入れる」ことは違うと思う。

説明するのが難しいと思うので、ちょっとここで宮城教育大学の松崎先生のブログを紹介します。

聴覚障害児にとって「聞こえる子ども」の存在とは?

友達A は,私に話の内容を細かく説明してくれました。しかし,集団会話で盛り上がったり関心の強い話題に及んだりすると,だんだん友達A も私に説明をしてくれなくなりました。それで私から,「いまの何?何?」「なんでみな笑っているの?」と何度か聞こうとするのですが,友達A もみなの会話に遅れるのが嫌で,「あとでね」「ちょっと待ってて」と言って説明をしなくなるのです。みなと一緒に楽しくおしゃべりしたい友達A の気持ちがよくわかるので,これ以上しつこく聞くことはできず,諦めてわかったフリやウソの笑い顔でその場にいるしかありませんでした。

この上の文、絶対に経験されたことがある人は一人はいると思います。

「口話」が出来ていても、結局は限界があります。

「手話」だと、確かに聞こえる人も覚えないといけないという面は出てくるけども、「社会」が「手話」を公用語とするぐらいのレベルになっていたら、話は違ってくるじゃないかな?と思います。

「手話」を使うことは、甘えではないと思いますし、「口話」だけにする、と言うのも悲しいなと思います。

また「手話」しか話せない人は、採用しないという会社があったとしたら、それこそ、差別ではないでしょうか?

その人が、とても勤勉で無断欠勤することなく、真面目に人の話を聞いて仕事をすることが出来れば、「手話」は簡単なことから覚えて、どうすればコミュニケーションがとれるか?を周りが考えていけばいいのではないでしょうか?

このあたりは、ねこさんのブログを読んでみてください。

聞こえる夫に手話やろう者などへの考え方を聞いてみた

「発音が出来ない人よりは出来る人の方を採りたい」と考えてる会社も「発音ができる=仕事ができる」という見方は間違っている。なので、長い目で見ても、「発音が出来ていた方がお得」という考えはどちらも(会社側も聞こえない人の側も)間違っている。   

発音が出来て良かった!と言う人たちへ。

発音が出来る人も出来ない人もお互いに思いやること。
発音の優劣だけで人を判断してはならないということ。
それだけでなく、 発音ができないと生きていけないような社会に

問題意識を持つこと 発音が出来る出来ないに関係なくみんなが暮らしやすい社会を作ること


結局は、『正解』なんて、本当はないのです。

聞こえない人にも、色々なタイプの人がいますからそれぞれが自分の考え方をきちんと持っていて、「口話」だけでいい!と思う人もいれば、「口話」はもう疲れる!と思う人もいる、、、。

大事なことは、「口話」もある程度必要だけど、「手話」を必要としている人たちもいて、みんなが共存共栄できる社会を作ることではないでしょうか?

よく、「口話が出来てよかった!!」と、ろう者に話している人を見かけますが、私はそういう風に

人を見下すようないい方が好きではありません。(本人にはそのつもりはないと思いますが)

まるで「口話」が出来ないひとたちを出来なくて可哀想ねと言っているようなものです。

英語が話せない人に対して、「英語が出来てよかったわ!」と言って差別しているのと変わらないと思うし、それだったら、皆に優しい「社会」にはなかなかならないと思います。