「聴覚障害者」たちが困っている事、「手話」は何か、などアンケートの結果 コラムNo7-2
あなたの住んでいる所では、手話は手話言語条例(呼び方は地域によって異なります)になっていますか?
はい 29.6%
いいえ 33.0%
しらない 33.7%
「知らない」と答えた方の中に、聴覚障害者の方がいました。
『手話言語条例』そのものがあるということを、知らないのか?
それとも、自分が住んでいる所の聴覚障害者への活動に無関心なのか?
それは分かりませんでしたが、「知らない」ということは非常に残念だと思いました。
お住まいの自治体がどうなっているのか?は、下のリンクで確認出来ます。
手話言語条例マップ
でも、中途失聴の方、手話を知らない難聴の方にとっては「要約筆記」の方が重要だと思います。
要約筆記の重要性も、手話と一緒に広めていかないといけないなとも思います。
『手話言語条例』とは何か?
全国に先駆けて手話言語条例を制定した鳥取県のHPにわかりやすく掲載されていますので、そちらをご覧下さい。
鳥取県手話言語条例
手話を覚えたいと思いますか?
はい 75.6%
いいえ 6.2%
その他 18.2%
覚えたい!という人は、以下のような回答がありました。
・周りの人の影響 ・職場に聞こえない人がいるので、コミュニケーションを図るために
・手話は新しい手話も生まれてくる、ろう者だけどもっと覚えたい
・手話はとても楽しいし、ろう者と聴者がコミュニケーションをとればとるほどお互いが近く感じられる
・ろう者の不安を少しでも理解し、通訳が出来たらいい
・様々なコミュニケーションの支援の1つだから ・言語の1つとして、手話を勉強したい
・筆談より早いし、時間がかからない
・ろう者にとって必要な言語であるということを理解しているから
・聞こえない人が考えていること、その文化や歴史を知りたいから
・聞こえる人の考え方を知ってほしい ・筆談では意思疎通が出来ていないことをしっているから
・恋人・配偶者が聴覚障害者だから
・人工内耳装用ですが、外しているときとかは聞こえないので、コミュニケーションを図るために手話を覚えたい
・未知の言語への興味 ・観光に来た外国人に、道を聞かれたときに英語で答えるのと同じように手話で聞かれても手話で答えられるようにしたい
・同じ国に住んでいるから、聴覚障害者たちの「言語」も覚えたい ・聴者でも煩いときには非常に便利
・言語学者として、研究の一環として覚えたい
・言語関係の仕事をしているので、言語取得の研究の一環として
・突発性難聴で、いつかは全く聞こえなくなると思う、そうなれば手話を知っていた方がいい
・手話を知っているのと知らないのとでは、聴覚障害者の方が困っているときの対応も違う
・手話を使わない聴覚障害者の方がいると聞いたことがありますが、それでも知っていれば手話を使う人の手助けになるかもしれないから
・コーダだから ・デフファミリーだから
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覚えたくないという人は、「聴者」が多いかと思っていたのですが、その逆で「聴覚障害者」が多かったです。
・中途失聴ですが、ろう者に手話を覚えて!と押しつけられたから覚えたくない
(覚えたい気持ちはあるが、押しつけられたのがトラウマ)
・周りに手話を理解出来る人がいない
・日本手話と日本語対応手話の2つを覚えるのにエネルギーと時間を費やしてしまうので、筆談で対応した方が伝わりやすいから
・周囲に手話が出来る人がいないので、覚えても通じる相手がいない
・中途失聴だから手話が出来なくても問題が無い
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編集者は、先天性のろうですが、手話を押しつけられたという方の回答に申し訳ないと思いました。
どなたかは、わかりませんが、その押しつけた(?)という方に代わって、嫌な気持ちにさせて申し訳ありません。
私の勝手な推測でしかないのですが、恐らく、その方は「聞こえないから手話で話して!」とか「中途失聴でも手話で話すべきだ」とか「ろうとのコミュニケーションで手話じゃないとだめ!」とか、、、押しつけているつもりではなかったと思います。
確かに、ろう者にとっては「手話」は大事な「言語」です。
でも、いきなり無理矢理覚えろ!みたいに話すのは良くないと思います。
英語が苦手な人に、いきなり長文の英語を早口で話しているのと同じです。
ところで、確かに周囲に手話が出来ない人が多いと、覚えても意味が無い!とか、忘れてしまうし興味がなくなる、ということは手話に限った話では無いと思います。
英語やスペイン語、、、ASL(アメリカ手話)でも、やっぱり使わなかったら忘れてしまいます。
こんな時にどうするか?というと、近くのサークルに通う、気の合う手話の出来る友達(障害に関係なく)を見つける(作る)、鏡をみて自分で練習する!など色々と方法があると思います。
また、手話でなくても筆談や音声認識が出来るアプリなど色々と意思疎通出来る手段がありますので、それらを自分が使いやすいように利用されたらいいかと思います。
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以下の回答は、手話をどのように「言語」として広めていくか?などを考慮した上での回答
・日本に生まれて日本語を当たり前に学ぶのと同じように手話も義務教育のカリキュラムの中で当たり前に学ぶ環境であって欲しい。同じ日本人なのに言葉(手話・言語)が通じないのは残念。だから、日本語と同じく手話を学びたい
・メディアも教育も一体になって手話を覚えた方がいい
・幼児期から学童期にかけて基礎となる教育がきちんと受けられていない。手話でも日本語でも学習言語取得として、学業が修められるような環境を整えること、幼児期の聴覚障害者の子供をもつ保護者に対するボシティブな説明や情報保障がなされていない。幼児期は本人による選択が出来ないために、後々の影響を与えた支援が必要だが、現在不十分である。
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本当にその通りだと思います。
特に、義務教育の中で手話で話す授業があってもいいと思います!
以前、アメリカのどこの州だったのかは忘れましたが普通のジュニアスクールに(小ー中学校)聴覚障害者の子供が何人かいて、その子供がいるクラスには手話通訳士が教室の左右に立っていて、子供たちに手話で通訳。
すると、聴者の子供もいつの間にか手話を覚えてしまい、誰が聴覚障害者で聴者かわからなくなるというレベルまでいって手話通訳者とも、手話で会話。
聴者の子供たちは家に帰っても兄弟に手話を教えて兄弟間での秘密の会話は全部手話で、、、という面白い話を聞いたことがあります。
日本でも、このようにすればみんなが手話に抵抗を感じることなく、当たり前に手話があるという社会になればいいなと思います。
幼児期から学童期にかけて基礎となる教育がきちんと受けられていない。
手話でも日本語でも学習言語取得として、学業が修められるような環境を整えること、幼児期の聴覚障害者の子供をもつ保護者に対するボシティブな説明や情報保障がなされていない。
幼児期は本人による選択が出来ないために、後々の影響を与えた支援が必要だが、現在不十分である。
こちらの回答につきましては、「ろう教育」のところで私の考えを書いていますので、そちらをご覧頂ければ嬉しいと思います。
「ろう教育」における私個人的な考えも含めて コラムNo4
ろう学校において、どのように子供たちとコミュニケーションをとればいいのか?
ろう学校以外の普通の学校や、支援クラスにおいても、口話か?手話か?
日本のあちこちで、色々と議論が出ていると思います。
口話至上主義のろう学校で高等部までを過ごし、普通の大学を経て社会人として毎日を送っている私としては、口話も手話もどちらも大事だと思います。
ただ、日本語を学習するのに「手話」は絶対に必要だと思います。
最初から手話で「言葉」を覚えるのと、先に発音を覚えて「言葉」を覚えるのとでは時間的にも差があると思います。
手話で言葉をいっぱい覚えると、だんだん自分で自分の気持ちが言えるようになります。
でも、口話に拘っているとその時間がかかった分だけ言葉が覚えられない。
どちらにも、「正解」はないです。
ただ、口話にはどうしても限界があるし、口の動きを読み取るのも疲れるし、聞き間違えない確率は0%ではないということも、知って欲しいと思います。
どんなに頑張っても頑張っても聴者になれるわけではありません。
学業においては、障害がある無しに関係ないと思います。
障害が無くても、真面目に勉強をしない人もいますし。 ただ、聞こえる人は「言葉」や「情報」が勝手に耳の中に入ってくるから色々な事を知ってたりするけど、聴覚障害者は、それが出来ない。
また、本人のやる気と家族の支えと周囲の理解と学校側の熱意が揃わないと出来ない事だと思います。
手話を使うと、親戚や周りの人が変な目で見るかも知れない、、そんなことを考えていたらそれは大間違いだと思います。
何のための手話か?をもう一度よく考えて欲しいと思います。
長くなりましたが、少しでも聴覚障害者への理解が深まりますように、 聴覚障害者同士の誤解がなくなりますように、 また「情報保障」の必要性を改めて知って頂けたら嬉しいと思います。
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